フレデリック・ディーリアス(Frederick Delius, 1862年1月29日 - 1934年6月10日)は、イギリスの作曲家。本名はフリッツ・テオドール・アルバート・ディーリアス(Fritz Theodor Albert Delius)。かつて日本語では「デリアス」と表記されることが多かったが、三浦淳史の解説などを通して、より原音に近い「ディーリアス」が一般的となった。
イギリスを代表する作曲家の一人として見なされることが多いが、両親はドイツ人であり、また本人も長じた後はアメリカ合衆国およびフランスに居住した。
ノルウェーの作曲家、グリーグと親交があった。
ディーリアスは、ロンドンの北北西方向約250Kmに位置するブラッドフォードで生まれた。両親はドイツ人で、父親のユリウスはヨークシャーの羊毛産業で成功した実業家であった。14人兄弟の4番目として生まれたフレデリックは、音楽好きの家庭で育ち、12歳までにはヴァイオリンとピアノの演奏に才能を示していたが、ユリウスは音楽家の道に強く反対し、家業を継ぐことを望んだ。
1874年から1878年までブラッドフォードのグラマースクールで勉強し、ロンドンのインターナショナル・カレッジで2年間を過ごした後、父親の仕事の見習いをするが肌に合わず、オレンジの栽培をしたいと父を説得し、海を越えてアメリカ合衆国へ渡った。フロリダに到着した後はピアノを購入し、ジャクソンヴィルのオルガン奏者トーマス・ワードに音楽理論を学んだ。黒人労働者の歌曲にも触れ、1886年から1887年に『フロリダ組曲』を書き下ろした彼は、その後、バージニア州のダンヴィルへ赴き音楽を教えていた。
父親のユリウスは、ようやく息子の希望に応え、1886年(24歳)から1888年(26歳)までライプツィヒ音楽院で学ばせた。その後パリに行き、1888年以降はフランスに定住し、他国に住むことはなかった。
この頃からオペラの作曲を始めるが、自らの作品を聞く機会に恵まれたのは1897年、オスロでの “Folkeraadet” の為の付随音楽を作曲し、その公演に行った時のことである。その後間もなく、ドイツで管弦楽作品『丘を越えて遥かに』の演奏が行われ、好評を博した。1899年には彼の作品のみの演奏会がロンドンで開かれたが、評価は賛否両論であった。
1896年、34歳の時にパリで画家のジェルカ・ローセンに出会い、1903年に41歳で彼女と結婚する。その頃から英国式にフレデリックと名乗るようになった。
1910年に梅毒の第3期と診断される。1921年には全身麻痺に見舞われ、1922年にはついに失明、筆記者としてエリック・フェンビー(Eric Fenby, 1906 - 1997)を雇用し、苦労の末『夏の歌』、『イルメリン』などを作曲した。
その後、梅毒による脊髄瘻に苦しんだ末に1934年6月10日に死亡したが、その1年後(1935年5月28日)妻が亡くなった。夫妻はロンドンから約30Km南に位置する Limpsfield に埋葬されている。
ディーリアスの作品
ディーリアスは、交響曲と宗教曲を除くすべてのジャンルを作曲しているが、一般的によく知られているのは自由な形式の管弦楽曲である(ただしイギリス国内ではいくつかの大作の合唱曲も親しまれている)。中でも有名なのは、「春初めてのカッコウの声を聴いて」、「ブリッグの定期市」、「楽園への道」などであろう。このうち「楽園への道」は、厳密に言えば歌劇『村のロメオとジュリエット』の間奏曲を、指揮者トマス・ビーチャムが編曲したものである。その他のジャンルの器楽曲は、上演や録音に恵まれていない。
ディーリアスは、出身地であるイギリスにおいて特に高い評価を得ているが、それは指揮者トーマス・ビーチャムに依るところが大きいと考えられている。ビーチャムはディーリアスの作品を率先して評価し、演奏に取り上げており、1961年に亡くなるまでその姿勢を変えることはなかった。
交響曲・協奏的作品
チェロ協奏曲以外は殆ど演奏されない。
ヴァイオリンと管弦楽のための『組曲』(1888年)
ヴァイオリンと管弦楽のための『伝説』(Légende, 1895年)
ピアノ協奏曲ハ短調(初稿=1897年/決定稿=1907年)
ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(1915年 - 1916年)
ヴァイオリン協奏曲(1916年)
チェロ協奏曲(1921年)
演奏会用序曲
幻想的序曲『丘を越えて遥かに』(1895~1897年)
まっち棒 きたみ ショートス バルト デンバー トスタチン チップ はじめて ばんか カラー ニュー ラジウム アドミラル プロフィット ネリカ スレッド 恋草子 ラッカー プレミア コリック サーフス ケード アサイン サーチ大潮 リンガ メイリオ オブラー ソクラ コサック からし菜 パラリ ゲバ上位 ヌーデン セルフレジ 草枕 トング 夢の果て ホソル びわ検 ひつじの涙 チャイ ナッツ パー 対策リマ ブラボ タイム ラングーン メキシコ ハクサンイ かいらん
管弦楽曲
管弦楽組曲『フロリダ』(Suite "Florida", 1886~87年)
イプセンによる交響詩『頂にて』(Paa Viderne (Sur les cimes), 初稿=1888年, 第2稿=1890年~1892年)
夜想曲『パリ』(管弦楽曲)(Paris: The Song of a Great City, 1898年)
古い黒人奴隷の歌による変奏曲『アパラチア』(合唱つき)(Appalachia: Variations on an old slave song, 1902年)
イギリス狂詩曲『ブリッグの定期市』(Brigg Fair, 1907年)
交響詩『生命の踊り』(Lebenstanz, 1908年ごろ。初稿の名は「輪舞は続く La ronde se déroule」, 1899年)
幻想曲『夏の庭で』(In a summer garden, 1908年)
高い丘の歌(ヴォカリーズの合唱つき)(The Song of the High Hills, 1911年)
小オーケストラのための2つの小品 (2 Pieces for small orchestra)
春初めてのカッコウの声を聴いて (On hearing the first cuckoo in spring, 1911年 - 1912年)
川面の夏の夜 (Summer night on the river, 1911年 - 1912年)
楽園への道 (The walk to the paradise garden, 1911年 - 1912年)
(管弦楽組曲)『北国のスケッチ』(North Country Sketches, 1913年 - 1914年)
音詩『おとぎ話(昔ある時)』(Eventyr)
夏の歌 (A Song of Summer, 1931年)
室内楽曲・独奏曲
弦楽四重奏曲(未完成、1888年、散逸?)
ヴァイオリンとピアノの為のロマンス(1889年)
ヴァイオリンとピアノの為のソナタ ロ長調(1892年)
弦楽四重奏曲(1893年、散逸?)
チェロとピアノの為のロマンス(1896年)
ヴァイオリンとピアノの為のソナタ第1番(1914年)
チェロとピアノの為のソナタ(1916年)
弦楽四重奏曲ト長調(1916年):一般的に「ディーリアスの弦楽四重奏」として知られる成熟期の作品。
ヴァイオリンとピアノの為のソナタ第2番(1923年)
ヴァイオリンとピアノの為のソナタ第3番(1930年)
ハープシコードのためのダンス イ短調(1919)
劇付随音楽
ハッサン (Hassan, 1920年 - 1923年)
歌劇
イルメリン (Irmelin, 1890年 - 1892年)
魔法の泉 (The magic fountain, 1894年 - 1895年)
コアンガ (Koanga, 1895年 - 1897年)
村のロメオとジュリエット (Romeo und Julia auf dem Dorfe, 1901年)
フェニモアとゲルダ (Fennimore and Gerda, 1911年)
声楽曲(歌曲・合唱曲など)
シャクンタラ (テノール独唱と管弦楽)(Sakuntara, 1889年)
モード(テノール独唱と管弦楽)(Maud, 1891年)
海流 (バリトン、合唱、管弦楽)(Sea Drift, 1903年 - 1904年)
人生のミサ (4人の独唱、合唱、管弦楽)(Eine Messe des Lebens, 1904年 - 1905年)
日没の歌 (2人の独唱、合唱、管弦楽)(Songs of Sunset, 1906年 - 1907年)
アラベスク (Arabesk, 1911年)
レクイエム (1913年 - 1914年)
伝記
ディーリアスの晩年に筆記を務めたエリック・フェンビーが後にディーリアスについての著書を出版している。
Delius as I Knew Him (1936, G. Bell & Sons Ltd, Revised in 1981, ISBN 978-1406762327 (2007 ed.))
Delius (The Great composers) (1971, London: Faber and Faber, ISBN 978-0690234954 )
また、イギリスの映画監督ケン・ラッセルによって、フェンビーの書をもとにしたテレビ映画『ソング・オブ・サマー』が制作されている。